こんにちは、こんばんは、まめイチです。
今回は雑感です。(いつも似たようなもんですが…)
以前に、平均寿命と健康寿命の差について、書かせていただきました。
「生きている」ということと「日常生活に健康面で支障なく生きている」ということにも大きな違いがあること。
そして、政府発表の統計調査によると、平均寿命と平均寿命との期間には10年以上のギャップがあることがわかりました。
そもそも、なぜそのような記事を書こうかと思ったかです。
あらためて、両親の健康面について考えさせられる機会があり、実は”親孝行はあと何回もできない”ことに気付いたからなんです。
様々な親孝行のやり方や、いろいろな生活環境があるので、一概に話すことは失礼なことなのかもしれないですが、私のケースで考えてみようと思います。
【目次】
親孝行
コトバンクによると「親孝行」とは次のように書かれていました。
[名・形動](スル)親を大切にし、真心をもってよく尽くすこと。また、そのさまや、その人。
(コトバンクより)
うーん、人によっていろいろな関係性があるので、非常にデリケートな内容ですね。
このようなことを考える時、私はどんどん話を遡って考えてみることにしています。
親のことが好きな自分、なんとも思わない自分、好ましく思っていない自分など、いろいろなケースがあると思いますが、一つだけ確実なのは”親が存在していなければ、今の自分は存在していない”ということ。
よく思うも、悪く思うもそれぞれですが、そもそも今の自分が存在しているのは、親のおかげだということですね。
親の見え方の変化
身内と言えども、そこは別人格。それぞれの立場、ものの考え方があるので、同調したり反発したりです。
40代にして振り返りますと、私の場合では親との立ち位置において、いくつかの変化点があったと思います。
教えてくれる、守ってくれる存在
生まれてから中学くらいまででしょうか。幾度かの反抗期を通過して徐々に親の見方が変わってきます。
今から思えば小生意気なこと言って悪態をつきますが、まだまだ一人では生きていけないという考えが、無意識に根底にはありました。
ぶつかる存在
生活面、経済面など切り口はいくつかありますが、身体面での変化が大きかったと思います。
10代後半と言えば、さらに身体が大きくなり体力がついて、同時に自分への自信がついてきます。
(文科省の調査では、体力のピークは10代後半とのこと、20代からは徐々に低下してきてしまうらしいですね。)
この体力的な自信をベースに親にぶつかっていました。
また、この時期は親と一緒にいるのが嫌な時期でもありましたね。
歳の差のある友人のような存在
親の世話になりながら学生の時期を終えて、社会にでた訳ですが、この時期からはどことなく友人みたいな感覚があったと思います。
まだまだ心もとないですが、収入を得はじめます。
ある程度の自由に使えるお金ができてきたことから、経済的な依存度が減った気になり少しずつ余裕が出てきていたと思います。
(実家にいたくせに、今から考えるとアホな自分です)
この頃になると、時間を見つけて普通に親と一緒に出掛けるようになりました。
少しずつ上下が逆転
ここからは、グングンと親との差が減ってきて、なんとなく立場が逆転してきます。
生活面でも、住むところが離れて日常での接点が減ってきます。
身体面では完全に逆転して、今度は親の健康面が気になりだす時期でもありました。
労わり感謝する
親も大なり小なり病気をするようになってきました。病気をすると日常生活に不自由することも増えてくるので、サポートが必要になってきます。
私の親も10年ほど前に脳梗塞を患い、幸いにして後遺症は軽かったのですが、それを機に身体的にも精神的にも弱くなってしまいました。
それでも日常生活はなんとか送れていますが、高齢で自動車の運転も怖いですし、足腰も弱ってきてしまいました。
こうなると、本人の気持ちはさておき、こちらはサポートしなければという気持ちと同時に、感謝の気持ちが強くなってきましたね。
男40代、今はココです。
親孝行はあと何回もできない
私自身も平均寿命の半分を超え、子供も大きくなってきましたので、少しずつ自分の残りの人生のことを考えだすようになりました。
実は、そこで調べてみたのが、健康寿命のことです。
そうしたら、自分のことよりも親が健康寿命の平均を超えていることに気づかされました。
ありがたいことに、私は親が健在ですが、身体能力的、健康面ではやはりそろそろ厳しくなってきたというのが現実です。
そこで、あと何回親と一緒に同じ空間を過ごすとこができるかを、平均寿命から現実的に考えてみました。
あと何回チャンスがあるか
みなさんは1年間に何回くらい親と会いますか。
私は地理的には恵まれている方だと思いますが、年に4回程度です。
親の年齢を考え、仮に平均寿命まで生きられると仮定すると、5-6年程度でしょうか。
単純計算すると、20-24回(年4回x5-6年)なんですね。
つまり、今のペースでいくと親の顔を直接見る機会も25回程度しかないということ。
いやはや、回数の少なさに結構焦ります。
現実的に考えてみることが大切かも
”人の生き死に”に関しては、どうしても考えるのに躊躇してしまいませんか?
私だけかもしれませんが、仮定だとしても考えることに、どことなく不謹慎さや失礼さを感じてしまうというか。
そんな背景からか、あらためて考えるとこはしてこなかったですが、今回の思いつきは良い機会だったと感じています。
「何事もやれるのは今からしかない」のですから。
最後に
今回、いくつかのきっかけがあり「自分が納得できる親孝行をあと何回できるのか」を考えてみました。
人それぞれに、いろいろな状況と考え方がありますので、今回はあくまで私の考えであり気づきです。
今回の記事で、不快な気持ちになられた人がいらっしゃいましたらすみません。
ましてや、様々な状況の人の目に触れるような場所に、雑感とはいえこの内容を書くことなんて、配慮不足極まりないことなのかもしれません。
しかし、それほどまでにあらためて考えさせられることでした。
「後悔先に立たず」この歳になって随分遅い気づきかもしれませんが、みなさんの参考になればと思います。
今回も、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。